はーい(^O^)/Ulalaです。今日はフランス式庭園です!
フランスの庭園と言っても、時代によっても沢山ありますが、
今回は、庭園が発展してきたルネサンス期から、ルイ14世が築いた、フランス式庭園の最高峰と言われる、ヴェルサイユ宮殿の庭園を中心に語りたいと思います。
それでは、行っくよー(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!
フランスの独自な発展は、上から見るデザイン
フランスのルネサンス期の庭園は、15世紀の末、シャルル8世がイタリア庭園を学んだところから始まりました。
しかしイタリア庭園は、平地が少なかったフランスにそのまま取り入れられることは難しく、独自路線で取り入れられていきます。
フランス独自の工夫の一つは、装飾庭園を囲むテラスや歩廊。庭より一段高くした場所から、庭全体を眺めるといる沈床園という形態の作りになっています。これらはイタリアではほとんど例がありません。
そして16世紀後半。刺繍花壇が考案されます。刺繍花壇とは植物を使って刺繍のように見える庭で、フランス語でパルテールといい、花壇の形を長方形、正方形、または三角形などにして、植物を植えていく方法です。
こういった刺繍花壇は、住居から近いところに作り、家の主人の住居となっていた2階の広間から見てもっとも美しく見えるように構成され、左右対称に構成されるようになっていきました。
こう見ると、沈床園にしても、2階から見ることを考えていたにしても、フランスで発達したお庭は「少し上から眺める」ことが前提に作られているのがわかります。これは作られた模様を見ることを楽しんだのでしょう。
日本の場合はどちらかといえば、同じ目線で「地上に人がいる」設定で作られていることが多く、自然と同じ位置で生活している感じでしょうか。
その後、フランスでも、庭好きだったアンリ4世時代に造園が盛り上がり、とうとう、フランス式庭園が開花します。
自然を征服しコントロールする権力の象徴 ヴェルサイユ庭園
フランス語でキリスト教の創生主はDieuといいますが、これはラテン語のDeusから来ています。
また、日本では戦国時代末期には、キリシタンは、キリスト教のDeusを「でうす」や「デウス」と表記していました。日本のカトリックでは「天主」という言葉も使われていきましたが、プロテスタントが「神」という言葉を使っていた影響も大きく、
キリスト教のデウス、天主を、日本の「神」という言葉を使うようになりました。
おかげで、いろいろ混同されるようになりあまりよろしくありません。
なぜなら、日本の神は複数いるのに対して、キリスト教の創生主は唯一神だからです。
日本の神道は多神教で、キリスト教は一神教。
基本概念が全く違います。
また、この基本概念の違いから、日本とフランスは大きな思想の違いもでてきました。それが、庭園の表現の仕方にも表れています。
フランスをはじめとする、ヨーロッパのキリスト教国では、地上の事象はすべては創生主が創ったものとされてきました。
そして、王権は神から国王に授けられたもので、その権力は神聖で絶対的なもの(王権神授説)。よって、王というのは自然も征服しコントロールてきるほどの存在とされたのです。
徹底的にその思想を貫いたのがルイ14世(1638年-1715年)です。
その権力を見せつけるためにも、壮大な宮殿とフランス式庭園の最高傑作といわれる壮大な庭園を作り上げました。そうそれがヴェルサイユ宮殿。
ルイ14世は「権力を見せつけられる庭園を造ってくれ」と宮殿宮廷庭師アンドレ・ル・ノートル(1613年-1700年)に頼みます。
そして、沼地や手つかずの不毛の土地を約40年もかけて征服し、人工的な庭園を作り上げさせたのです。
ヴェルサイユ宮殿のフランス庭園は、唯一神から与えられた絶対的権力を持つフランス王ルイ14世が、自然すらを征服した王の権力を見せつけるために作られた庭なのです。
庭園で最も有名なのは噴水庭園。
噴水自体が重力に逆らい上をむいて噴射しており、自然をコントロールしている存在。しかも華やかなので人目を大きく引き圧倒させたり、驚嘆させたりすることもできるため、ヴェルサイユのお庭には1400もの噴水が設置されています。
その中でも有名なのが「噴水庭園」。素晴らしいショーなども行われ、常に目を服存在なのですが、それだけではなく、噴水庭園には王の3つの意図がありました。
その3つがこちら
水なき地に水を引く
ヴェルサイユには近くに水を引く高地がありませんでした。そこで、セーヌ川に造ったマルリーの機械と呼ばれる巨大な揚水装置を設置し、堤の上に水を上げさせることで、自然をも従わせる力を自身が持っていることを証明しました。噴水は、貯水槽から配管を通し、サイフォンの原理による圧力を利用して水を噴き上げる仕組みになっています。
貴族を従わせる
「太陽神アポロンの噴水」は、アポロンは天馬に引かれて海中から姿をあらわし、天に駆け上ろうとしている様子を描いた噴水です。アポロンはルイ14世自身であり、王が天空から地上の全てを従わせることを示しています。
また、「ラトナの噴水」のアポロン像の足元にあるのは、神の怒りに触れて蛙やトカゲに姿を変えられた村民たち。ルイ14世は多くの貴族をヴェルサイユ宮殿に強制移住させて噴水を見させることで、「王に反抗するものは許さない」と貴族たちを暗にけん制したのでした。
民衆の心をつかむ
海外からも驚かれたことですが、ルイ14世は民衆の誰もがヴェルサイユに入るのを許しました。入口にはふさわしい服装で庭を見るために、必要な物を貸し出しもいたようです。
そして、民衆に庭園の見方を教える「王の庭園鑑賞法」というガイドブックを発行。民衆は、ガイドブックに従って庭園を鑑賞することで、貴族と自然を圧倒した王の偉大さを刷り込まれることを意図していたのです。
自然を征服し、コントロールし、権威を見せつける。
自然と共存してきた日本とは、本当に違う思想が根底にあることが理解できます。
まあ、うまくまとまらなかったフランスのこの時代、国をまとめるために必要なことでもあったのも間違いありません。
直線的で軸方向のデザインな、フランス庭園「整形式庭園」
ヴェルサイユ宮殿の庭園様式でもあるフランス庭園「整形式庭園」は、直線的で軸方向というのが特徴的です。
14世紀から15世紀のイタリアのルネサンスの庭園とフランスの数学者ルネ・デカルト (1576年-1650年)のアイデアから、これらの庭園へのインスピレーションが最初に生みだされました。自然界は客観的に測定可能であり、空間は無限に分割可能であると考えていたのです。
「すべての動きは直線なので、空間は数学座標の普遍的なグリッドであり、すべてが無限に拡張可能な平面上に配置できる」
と、「幾何学的」に配置されています。完全に「人工的できまった形」になることを重視していることがわかります。
また、フランス式庭園はル・ノートルの素晴らしい影響で「視覚」に気が配られています。
本館から遠くなるほど狭くなる大きな中心軸は、視聴者の視野を水平線に強制してさらに大きく見せようになっていたりします。見る人は、同時に庭のすべての構成要素を見ることはできません。近づくまで見えないため、歩いて発見する要素に驚かされることになるよう設計されているので、ヴェルサイユ宮殿などは一歩前を踏み出すと、違う景色が見えて散策が楽しくなるものです。
自然を縮小した日本庭園は、非対称で他の幾何学的形状を持たず、起伏があり、そういった自然を身近に感じながら感じる「心」という「内面」を重視しており、ほんとうに文化の違いを感じさせます。
まとめ
こうやって見ると、庭園が、いかに日本とフランスの文化の差を表現しているかを、実感できるのではないでしょうか?
しかしながら、このように、世界最高峰のヴェルサイユ宮殿の庭園が築かれ、いろんなところに大きな影響を与えてきたフランス式庭園ですが、
18世紀以降はフランスでも風景式庭園が主流になっていきます。その頃はフランス革命もあり民衆が自由を求めまた時代です。庭園も自由への流れに沿って流行も変っていったのでしょうね。
でわでわ、それではまた明日(^▽^)/
ヴェルサイユ庭園の写真は下記からお借りしました
アポロンの泉水
Moonik – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18846827
ラトナの噴水
Harry – www.gnuart.net, FAL, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1102275
コメント