ありのままを肯定し、みんなで笑って認める日本文化

フランスと日本、都会と田舎、中上級階級と庶民など、さまざまなはざまで生きてきた境界人であるため、他の人と違う視点を持った著述家として活動しています。コラム執筆などの依頼も請け負っております。

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俺の家の話』と『日本昔話』と『落語』の共通点 日本の文化・習慣を知る
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はーい(^O^)/Ulalaです♪最近の日本のドラマ、面白くない?

ところで、みなさん、2021年1月22日から3月26日までTBSテレビ系「金曜ドラマ」で放送されていたテレビドラマ『俺の家の話』は、もう見ましたか?

長瀬智也さんの演技が好きなので長瀬智也さん自体も見てて面白かったのですが、それよりも宮藤官九郎さんの描かれたた世界が素晴らしかったです。これこそが、

「ありのままを肯定してみんなで笑って認める」

って世界!!

日本の昔からのお笑いの世界を反映している!

ドラマの中には多様な世界がでてきます。

「能」と「プロレス」、「家柄と血」と「外部」、「家族」と「家族以外」、「裕福」と「貧困」、「老い」と「若さ」、「伝統芸能音楽」と「ラップやヒップホップ」、「離婚した元妻」、「多動症(ADHDの特性のひとつ」、そして「生」と「死」

ドラマでは、こういった要素に分かれてちゃめちゃなに見える家族やそれを取り巻く人たちが沢山でてくるんです。

でも、なんやかんや葛藤を経て、

最後にはその全てが受け入れられている。

そして、みんなで笑っている(^▽^)/

それこそが、昔からある日本の世界。

「ありのまま」と「業の肯定」

ではないかと、思ったわけなんですよ。

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「ありのまま」と「業の肯定」

江戸時代、日本の庶民層は「空腹と寒さ」によく悩まされていたそうです。そんな中、「寒いね」「ええ、寒いですね」と相手に共感し、寄り添い合って不快感を緩和していたのです。

ですから現代でも、日本人は「共感できる要素」のある笑いを好みます。

『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』によりますと、これを、落語界の偉人、立川談志さんは「飢えと寒さが落語のベースである」と言っていたそうです。

ようするに身近にいる人物の描写で共感させ庶民を笑わせて、心暖かにするのが落語だったんですね。

ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語
立川 談慶

ビジネスエリートが「日本の文化・価値観」「人間の変わらない本質」を知るツールとして長年親しまれてき落語。その落語を教養として基礎が学べます。

そして、その落語では「人間の弱さ」を前提として描かれ、「弱いもの」同士としてかばい合い、その優しさを分かち合うかのように物語が展開していきます。

スキあらばタダ酒にありつこうとする人。片思いや横恋慕に悩んでいる人。お金もないのに見栄っ張りな人、言うなれば「成功していない人」「ダメな人」「イケてない人」のオンパレードなのです。

そして、落語の話も、各登場人物の失敗談ばかりです。落語は、「優れた人間」でも、「意識高い系」でもない、業にまみれた〝庶民代表〟。それが落語界の定番メンバー。ありのままの姿な人たち。

『落語』に限らず、『日本の昔話』も同じような感じです。

以前、息子に日本語を教えていた時、日本の昔話を読む課題がありましたが、その中に描かれる「ダメ男」のオンパレードにも改めてびっくりしたことがありました。

フランス世界にどっぷりつかっていると、いかに自分が優れた人間か、意識高い系の人間かをアピールし続けることになりますが、

日本の昔話には、ダメ男」が堂々と出てきて愛されているんです。

しかも、これだけ弱さを堂々とさらけ出している上、バカにする描写もない

フランスでは弱さを見せてはいけない世界なので、反対に新鮮に感じたほど。

『日本の昔話』も『落語』もほんとに、「ありのまま」の姿を見せているのがほとんどです。

でも、そういった描写をする落語のことを、立川談志さんは、「業の肯定」と理解していたことを知って、ガツンと一発殴られたような衝撃を受けたのを覚えています。

そうなんです。日本は、全ての「ダメ男」をダメだな~と笑いながら存在を肯定する文化があるんです。

「ダメだなあいつ」と言いながらそのダメだという「ありのままの姿」をそのまま受け入れるという文化だったんです。

それは、人間はそういう面があるんだよ。でもそれを理解した上でつきあっていこうよ。というメッセージ。

それが、「業の肯定」であり、

笑って人のありのままを肯定する

ということ。

仏教から来た落語

もともと、落語は、仏教の浄土宗の説教を庶民に面白おかしく伝える方法として始まったものなので、仏教の教えである「ありのままを受け入れる」という考え方が普通に練りこまれているとも言えるかもしれません。しかし、日本の元々の宗教である、神道の神様も、相当ダメダメな人がいますが、それも受け入れてきているので、日本は、昔から「ありのままを受け入れる」と言う考え方は普通だったのだとも言えます。

そして、時代が変わってもどれだけ世の中が発展しても、人間の本質は変わりません。

多くの庶民はそんな人間の本質を落語から学んでいたのです。

同じく『日本の昔話』からも学べます。

そして、現在、ドラマ『俺の家の話』の中にも、そういった人間の「業」と「それを肯定する」という同じ価値観を感じたというわけです。

↓前回、海外はモデルを人間として扱わないけど、日本では人間として扱ってくれるという記事を書きましたが、

海外のファッション現場はモデルを完全に「モノ扱い」/冨永愛
はーい(^O^)/Ulalaです♪今日の調子はどうですか?先日、日本で働くロシア系のモデルさんが、「日本ではモデルが人形や機械のように扱われることはなく、人間としてとても丁寧に扱ってもらえるというのです。」といっている記事を...

しかし、その違いは、今考えてみれば

日本では、ありのままの姿を許す「業の肯定」を習慣としてきたことで、人は誰であって人間として平等だと言う感覚があるからかもしれません。

もちろん、現在は、日本でも海外の感覚を持っている人も多くなったので、日本にいる人全員がそうだとは言いませんよ。育ちが違えば、感覚も変ってきますし、あと、日本の昔の習慣が受け継がれていない人も多くなってきています。

しかしながら、今回ドラマでも取り上げられたことで、「人のありのままを肯定する」姿は健在なのだなとも認識させられました。

ただのドラマですが、然れどドラマ。そうやって、日本人の価値観も受け継がれていくんですね。

では、では、また明日(^^♪

日本と違って、笑ってはいけないとされたヨーロッパの話は、こちらをどうぞ(^O^)/↓

笑うことが禁止されていた中世のカトリックの世界
はーい(^O^)/Ulalaです♪楽しい一日を過ごしましたか?前回、こちら↓の記事で、日本は「ありのままを肯定してみんなで笑って認める」文化があるってお話をしたのですが、実は、フランスははじめとするヨーロッパでは、笑う...

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