ヨーロッパの魔女(ソルシエール)と魔女裁判、そして現在のフェミニストとの関連まで

フランスと日本、都会と田舎、中上級階級と庶民など、さまざまなはざまで生きてきた境界人であるため、他の人と違う視点を持った著述家として活動しています。コラム執筆などの依頼も請け負っております。

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中世の魔女と魔女裁判 フランスの文化・習慣を知る
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はーい(^O^)/Ulalaです♪今日は魔女の話だよ~

先日、日本で『図説 魔女の文化史 というのが発売されました。

魔女を文化と捉えて、詳細に説明されているのはとても興味深い本です。

図説 魔女の文化史
セリヌ・デュ・シェネ

中世末から現代まで、魔女という存在がどのように認識され、表現されてきたのか。魔女にかんするヴィジュアルな文化史。危険で邪悪な存在が、魅力的な存在に。このふたつの魔女像は、どのように結びつくのか。 魔女のイメージの変遷を、豊富なカラー図版とともにたどる。

実は、この本、フランスで2018年4月に放送された『魔女たち(ソルシエール)』が元になっている本なんです!

↓その放送が聞けます!こちらです。音声をフランス語で聞くことができるので、ご興味があればぜひどうぞ♪

Les Sorcières : des figures féminines d'exception
PODCAST. Sorcières, entre mythe et réalité : écoutez cette série de France Culture pour retracer les origines de cette figure féminine d'exception.

放送は、4つのエピソード(歴史、人類学、芸術、フェミニズム)で構成されていて、各エピソード1時間の、合計4時間。

今日はその元になった4時間にわたる放送を聞き終えたので、放送内容そのものではないですが、補足をつけて、ざっと魔女についてまとめてみました(^^♪

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ヨーロッパの土着信仰から生まれた魔法使い

魔女と言うと、キリスト教で常に敵視されてきたかと言えば、実はそうではないんです。

キリスト教がローマ帝国の公認宗教になったのは、紀元後313年。ローマ帝国のコンスタンティヌス帝によるミラノ勅令からです。

この当時は、土着信仰が優勢で、ヨーロッパの各地で女性たちが夜間に、ローマ神話に登場する、狩猟、貞節と月の女神ディアーナやゲルマンの女神ホルダと集うといった異教的民間信仰がありました。しかし、コンスタンティヌス帝は、豊作を願ったり、病気を治すというような、呪文や魔法を許可していたといいます。

この時の魔女は、満月の夜にほうきに乗り、ごちそうを食べ、魔女あるいは悪魔崇拝の集会サバトをしていたというイメージがありますが、実はこれは、中世末期の14-15世紀に異端審問官や学者らによって作り上げられたファンタジーだそうです。

魔女裁判や、火炙りが本格化してくるのは、異端審問が本格化してくる時期以降になります。

カタリ派が虐殺されて、一層されていた時代に、初めて魔女が火炙りにされたのです。

それは、1275年、トゥールーズの出来事。

アンジェール・ド・バルテは、伝えられている話によれば、カトリック教会によって異端と見なされたグノーシス主義のキリスト教宗派であるカタリ派の信奉者でした。

異端審問官のヒューグ・ド・ベニオルス(トゥールーズ異端審問の最高指導者)によって、悪魔と肉体を交換し、7年前に53歳で出産したと非難したのです。

Angéle de la Barthe
The Brooklyn Museum is an art museum located in the New York City borough of Brooklyn. At 560,000 square feet, the museum is New York City's second largest in p...

(専門家の間では、アンジェール・ド・バルテの話は存在しなかったという見解もあります。)

暗黒の魔女裁判の嵐時代

14世紀に入ってからは、そこら中で魔女狩りが行われました。

この時代は、教皇権の没落とそれに伴う教会の混乱、英仏百年戦争等の戦乱、ペストの惨禍等々、社会の混乱と不安が一気に加速した時代だったのです。

そのような中で、魔女観における本質的な転換が起こります。

キリスト教では、神(絶対的正義)に対して悪魔(絶対的悪)が対置されますが、そこで「悪魔と結託した魔女」という新しい魔女観が登場したのです。

そのはじまりは、とかく迷信的で残忍との噂があった教皇ヨハネス二十二世による「魔女狩り解禁令」(1318,1320)

15 世紀に入ると、今度は、教皇インノケンティウス八世が「魔女教書」(1485)を公布しました。それによって大規模な魔女狩りが正当化されることとなります。

中でも魔女迫害に最大の威力を発揮したのが二人のドミニコ会士によって著された『魔女に与える鉄槌』(1485)です。

この魔女論は、魔女の異端論証・魔女の妖術と悪行・魔女裁判の具体的方法の3部構成から成り、魔女裁判の理論と実践の書となりました。

魔女となったら異端であるということで、子供でも誰でも、簡単に火あぶりにすることが可能になったのです。

単なる噂や密告だけでも逮捕・拘禁でき、しかも厳しい拷問の末に複数の共犯者名を強制的に自白させていました。

しかも、迫害の対象になったのは、なんと社会の底辺に位置した女達たちがほとんどでした。貧乏人、一人暮らしの老婆、さらには隣人から妬まれたりしていた普通の女達。男性も2割程度いました。

こういった魔女狩りは、どちらかと言うと社会の不満を他の方向に向けさせるのが目的だったといいます。多くの不安材料がある時代だったため、不満を向ける先が必要だったのでした。

また、この頃、聖女崇拝熱が高まったことが、女性の方が多く火あぶりになったことと関係していると言われています。↓参照

魔女と聖女: 中近世ヨーロッパの光と影
池上 俊一

魔女狩りの嵐が吹き荒れた中世、美徳と超自然的力により崇められる聖女も同時に急増する。両極の女性像が噴出した西洋中世とは何なのか? 謎に迫る。

現代はフェミニストのシンボルとなった魔女

長らく続いた魔女狩りも、ようやく18 世紀にはその悲惨な幕を閉じることができました。

そこからは、魔女がお話の中で出てきたり、かわいいキャラクターになるなど、固定のイメージが生まれ、親しまれてきましたが、

魔女として、

殺された8割は女性だったという事実。

魔女の歴史は、女性の迫害の歴史でもあったのです。

そこで、魔女はフェミニストのシンボルにもなりました。

フェミニストのプラカードに、魔女が載っているのは、そのためなのです。

フェミニストが魔女であるわけではないので、その点は間違わないようにしてくださいね♪

La sorcière, icône féministe par Mona Chollet
Comment la sorcière a-t-elle pu devenir un objet pop et sympathique alors que des milliers de femmes ont été exécutées depuis des siècles pour sorcellerie ? L'e...

それでは、また明日~(^^♪

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