フランスと日本では学ぶ事が違う。それは哲学を勉強している?ディベート?

フランスと日本、都会と田舎、中上級階級と庶民など、さまざまなはざまで生きてきた境界人であるため、他の人と違う視点を持った著述家として活動しています。コラム執筆などの依頼も請け負っております。

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考えることが大切 フランスの子育て
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フランスに来て、子供が学校に行って、つい比べてしまうのが

「フランスと日本での学ぶ内容の違い」

フランスでは

「考えること、自分の意見を持ち、発言すること」

が重視されていると感じます。

もちろん、
日本の教育と言っても、自分が実際に受けてきた環境のことを言っているので、他の人とは違う部分もあるかもしれない。フランスの教育と言っても、基本は子供達の学校での出来事なので、他の学校では違うかもしれません。

そんな、ulalaの生活の中で感じた、フランスの子供達が日常学んでいること。

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考えることを求める日常

ある日の息子のクラスでの話。

クラスのA君が、B君にからかわれて、先生に言いつけにいきました。

「B君が僕のことを”PD”って言うんだ!」

PDとは、Pédérastieから来た言葉で、少年愛などを含む男性同性愛者の意味がありますが、知識がない子供たちの間でも、からかいの言葉として使用されてるのです。

そこで、先生

先生「PDって意味を知ってるの?」
A君 「知りません」
先生「B君は?」
B君 「知りません」
先生「PDは、同性愛者と言う意味です。A君はそうですか?」
A君 「違います」

といった感じに始まり、そこから子ども達でいろいろな意見を交換する時間になったのだとか。

同性婚で揺れるフランスと、そこに住む人達の日常」でも言っている通り、今年はフランスでは同性同士の結婚が認められることになり、ホモセクシャルに対する言葉が日常に溢れています。そんな世の中を受けて、子どもたちに言葉の意味を考えさせるいい機会と思ったのかもしれません。

そして、家に帰ってきた息子から、”PD”という言葉に対する正確な知識内容を聞かされて、親は驚くことになるのですが(笑)

意見交換自体は、時間的には短かったようです。

でも、何も考えずに行なっている行動を、みんなで意見交換して考えることにより、言葉に対する正しい知識を得ることができ、その言葉を使われることがどうして嫌なのかを認識できるなど、多くののことが学べたと思います。

こういうことが、日常的に行われていることに感心をしました。

自分の考えを発言してまとめる日常

ちょっと前に、学校の帰りの一時に参加する機会がありましたが、その子供達の姿は、日本の帰りの会とはまったく違うものでした。

先生が、今日起こったことを言っている間にも、ひっきりなしに子供達が手をあげます。

そして、次々とその言葉や出来事に対して「自分が思ったこと」「理由の説明」などなどを発言していくのです。

発言することで、他人の興味や質問を喚起できます。
それに対して主張・補足、あるいは反論することで、自分の考え・意見をより明確にしていくのです。

どんどん、どんどん発言していって、自分の考えてをまとめていく。

フランスの小学校の高学年の子供達は、
「考えて発言する」ためのベースがすでに培われています。

一枚の絵を見て、見た物を口に出して説明するのが日常

発言を促す教育は、低年齢から自然に行われています。

最近、娘がすごいと思うのが、

「絵を見ると、普通にこの人は何をしているか、これは何かを説明し始めること」

それは、それは、隅々に渡って、絵に描かれている全てのことを説明していくのです。

そこで思い出したのが、

フランスに来た時に行った語学学校で受けた、クラス分けのテストの一つ。

そのテストとは、普通の一枚の絵を見せられて、

「絵に描かれていることを説明してください。」

というものでした。

こちらとしては、突然そんなこと言われて(;・∀・)ハッ?って感じ。

日本でTOEICや、その他の英語の試験を受けたことはあっても、
こういったたぐいの課題が出されたことは、実は初めて。

なので、まずフランス語がどうのこうのと言うよりも、
最初は何を意図しているのかがわからず、

この絵の何を説明していいのか分からず答えられなかったのです。

子供達を見ていると、フランスでは、子供の頃から普通にやっている教育だったのだと今になってつくづく感心。

確かに、日常でも、こんな感じにすべてのことを上手に説明してくれるフランス人が多いと思いませんか?

とにかく、発言する。

このことが、すべての教育の始まりであり、
小学校低学年ですでに子供達は習得しているようです。

答えが一つではないのが、社会の日常

息子がある日、

「先生が、今は答えが一つしかないけれども、上の学年では答えがない場合もでてくるって言ってのだけど、それはいつから?」

と聞いてきました。

答えがない問題があることを、学校で習うフランス

というのも、日本の小・中学校では「正解がある問題」のみじゃないですか?

でも、実際社会は「何が正しいか解らない問題」「正解のない問題」ばかりなのに。

少なくとも、日本の小、中学校では、それに備えた勉強はしていません。
もしかしたら、受験勉強のテスト問題しかしない高校生も、していないかもしれない。

筆者自身、教育過程が上がっていったある日、突然「正解のない問題」を解けと言われて、

「じゃあ、今まで小・中学校でしていた勉強はいったいなんだったんだ?」

と衝撃を受けたことが、今でも印象に残っています。

高校受験といい、学期末に行われてきたテストといい、「正解のない問題」について日本で勉強したことがあったでしょうか?

でも、フランスの子供達は、着々と準備をしているようです。

初めて行われた試み。幼稚園で哲学を教える

ちょっと前に、世界初の試みとしてフランスのジャック・プレヴェール幼稚園で行われた、2年間にわたる哲学の授業に密着したドキュメンタリーが話題になりました。

「ちいさな哲学者たち」

ちいさな哲学者たち [DVD]
アミューズソフトエンタテインメント(株)

いま日本の教育現場でも議論の対象になっている“考える力”とは。子どもたちに本当に必要なものとは何なのか? 新たな教育の試みによる、子どもたちの変化、成長、可能性、そして未来の教育を見守るドキュメンタリー

男女関係や貧富の差、人種の問題など、フランスならではの社会的テーマについて語り合う子供たちの変化と成長、教師や家庭に及ぼす影響を映し出しています。

ここでは、子供がどうして?と聞くのではなく逆に、先生が

どう思う?
それはどうして?

と聞いて、子供たちが考えて話します。

自分の頭で考えて、その内容を言葉で発して議論していくことが哲学の第一歩とも言えますが、反対に「哲学がそういった訓練に適した学問」なのだなと理解することができました。

まあ、この学校はある意味特殊で、他のフランスの学校全部が小学校で哲学を教えているわけではありませんし、あえて小学校で哲学を教える意味がどこまであるのかは、まだ疑問な段階であると思います。

なので、ものすご~いどっぷり哲学にはまらなくてもいいけれども(笑)

一つの物事について「深く考え」「自分の意見を持つ」授業の例として、意義あるドキュメンタリーだと。

実際、フランスの高校からは、本格的に哲学の勉強が始まります。

毎年行われる、フランスの大学入学試験に相当するバカロレアbaccalaureatの試験の初日は、「哲学」からはじまります。

つい、先日行われ2013年の哲学の問題↓
Bac philo 2013 : découvrez tous les sujets par série

●Série L(littéraire 文系)

「ことばは道具にしか過ぎないか?」
「科学は事実を確認するだけのものか?」

●Série ES(経済・社会系)

「我々は国家に対してどのような義務があるか?」
「知らなくても分析できるのか?」

●Série S(Scientifique 理系)

「政治に全く興味がなくとも道徳的に行動することはできるか?」
「仕事は自覚を促すか?」

この問題を見て、「自分の考え」をまとめて論文を書くことができるでしょうか?

バカロレアでは、4時間かけて書き上げます。

それも、ただ思ったことをつらつら書くだけではなくて、まず問題とされているテーマを明確に定義し、できれば哲学の歴史的な議論も織り込みつつ、対立する論点を書き、最後に自分の結論を書く感じがよいそうです。

教育を受けたフランス人全員が、完全な回答ができるわけではないと思いますが、
「自分の頭でしっかりとものを考え、意見を持ち、論理的に説明できるか」という教育
を受けていることは垣間見れるのではないでしょうか。

ちなみに、この問題のいくつかの模範解答はこちら↓
Bac 2013 : le corrigé des épreuves de philo de Luc Ferry

あとがき

外国では、どうしても口下手になってしまう日本人。

日本人は、英語やその他の外国語が上手に話せないと言われていますが、本当にそうなのでしょうか?だいたい、もっと英語が下手な外国人でも、どんどん自分の考えを口に出している人が多いと思いませんか?

確かに、日本人は、

「正解を言わないと恥ずかしい」

という思いが強すぎる場合も多いかと思います。でも、それプラス、

「発言することに慣れておらず、論点にあった言い回しが上手にできない」

のかも?

様々な知識・考え方を持つ人がそれぞれの観点から意見を口に出し、話がまとまっていくような会話が苦手な日本人。

だって、そういう教育は受けてないのだからしょうがない現実。

実際問題、国際会議や商談等での議論や交渉をやらされて、辛いと感じる日本人は多いそうです。そりゃあ、議論の仕方を教育されてきた人達に対して、ほとんど教育がなされていない人が立ち向かうのは難しいでしょう。

いろいろフランスの教育方法に対しては不満も多いし、十分ではない。先生によっての質の落差がありすぎ。

だけど「考える力を伸ばすための発言方法を取っている授業」については、日本でも、もっともっとやるべきだなと思うのでした。

コメント

  1. 連合艦隊司令長官の「山本五十六」が軍国主義が台頭する時代に
    「最近の若い人は、皆同じ事を言う。皆、顔が違うのだからそれと同じように考えも違っていいのではないのか?」と言ったそうです。
    つまり、日本人がそうなってしまったのは、軍国主義教育が原因のようです。
    (そういえば、軍国教育受けた私の両親よりも、私の死んだばーちゃんの方がよっぽど合理的な考え方してたような気がします)
    終戦後、個性を尊重する教育が行われ始めましたが、なんで元にもどっちゃったんでしょうね。

  2. 小西康夫 より:

    貴重な御報告頂き感謝します。ハーバードのビジネススクールと、似た手法ですね。同校では、学生は、図書館の司書が、選んでくれた本10冊を読んで、自習し、自分の意見を纏めて、教授と共に各学生が、各自が、纏めて結論について、討議する事が授業の由です。正解はなく、意見を纏めるプロセスを、大事にする。文系であつても、歴史、証明、分析、頻度、などが、大事と聞いています。今回の文部省では、オール英語で授業・討論で、世界標準に、挑戦出来る、コースが、旧帝大と早慶で 開設されました。お説の通り、日本人は、英語も下手で、討論ももっと下手です。Thank you agein

  3. JH より:

    フランスの教育には考え方を教えるってのが あるのだなあと フランス人と付き合うとあります。会社のフランス人の集団ディベートを聞いた時には 明らかにグランゼッコル(高等専門学校:大学より上の過程)ごとに 論理の展開/主義は似てました。ある意味どこ出身か/派閥を相手に分からせる感じですね。ただ結論は 日本人には 出ていないように感じるところもありました。超インテリが人の話を聞かない団地のおばちゃん会議をしているような…まあ 小生も結論はありませんが

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