絶対に非を認めないフランス人~篠原とドュイエの柔道~

篠原 

フランスには「間違えても人のせいにする」店員さんがいると↓こちらに書いたけれども、

フランスの店員にびっくりすること4パターン

「頑固に非を認めない」「他人のせいにする」

ってのは、店員さんだけではないんです。それは、、、

フランス全体に見られる風潮

というか、反対に、

「すぐ自分が悪いと言う」「深々と謝罪する」

っていうのは、

すごい日本的

と言えるかもしれません。

“世紀の誤審”と言われ日本中を騒がせた、2000年シドニー五輪男子柔道100キロ超級決勝、篠原信一とダビド・ドゥイエの対応の違いを覚えているでしょうか?

これこそ日本とフランスの文化の違いがはっきり見える出来事でないではないかと思うのです。

世紀の誤審と言われた篠原とドュイエの試合

2000年シドニー五輪男子柔道100キロ超級決勝戦。

金メダルをかけての戦いで、多くのファンが注目していました。

フランス人選手のダビド・ドゥイエのかけた内股を篠原がかわし、逆に内股すかしにでます。そしてここで両者はもつれ合いながら転倒、そして、ドュイエ選手が背中をついたのです。

柔道 篠原 ドュイエ

日本の誰もが篠原の一本を確信した瞬間!

しかし、この一本は認められず試合は続行。

それどころか、主審が判定した有効はドュイエ選手側のポイントに!

結局この判定が響いたまま、試合は終了。篠原はドュイエにやぶれ銀メダルに終わります。

試合後、山下泰裕監督は30分にわたる猛抗議をしましたが判定は覆る事はありませんでした。

日本側としては、一本を確実に取っているのに、この無念。解説しながら涙するアナウンサーさえいました。

しかしながら、篠原選手は、

「弱かったから負けたそれだけです」

と言うのみ。

不満一つ語る事なく会場を後にしたのです。

その潔よさに、日本人ファンは更に感動し、感情を動かされました。

それに対して、金メダルを手にしたドュイエは 

「日本の山下監督は自らの優位性を保つため疑いようのない判定に抗議してみせた」

とインタビューに答え、日本人のファンを更にイライラさせたのです。

誤審をも潔く受け入れ、自己の戦いそのものを反省する篠原。

「山下が持つ自身の記録が塗り替えられるから抗議したんだ」と山下監督が個人的な事情で文句言ってるだけと言い放つドュイエ。

まさに日本人の典型と、フランス人の典型

としか言いようがない。

試合後に日本では、「ドゥイエに負けを認めて欲しい」と言う署名運動が行われました。

スポーツ選手であれば、自分で本当に負けたか勝ったぐらいわかるだろう。正直に言うのが普通だろ!しかも、抗議したからと、山下監督の名誉まで傷つけようとするなんて許せない。

と思っていた日本人は多かったのです。

でも、フランス人から見れば?

日本では間違いを認めることは誠実な証拠であり、非を認めないと問題視されるため、イライラさせられることになるのですが、フランスでは反対です。

「非がある人は軽蔑の対象となり、弱者とみなされ、不当な扱いを受けたり、全ての罪を背負わされたりぐらいの待遇を受ける」こととなるため、何が何でもミスしたことを認めないよう、子供の時からしっかり叩き込まれてきます。

日本では「謝罪する」ことが正しい行為であり、「自分の身を守るためにもなる」

フランスでは、「自分の非を認めない」ことは、「自分の身を守る正しい行為」

とまったく逆なのだとも言えます。

そういった考え方は、スポーツにも影響しています。

スポーツでは「いさぎよい」こと、「フェアプレーである」こと、「スポーツマンシップにかなう」ことが評価されますが、

しかしそういった感覚は、フランスでは

恥であり、弱者扱いにつながることもあります。

なので、ドュイエが一度勝ち取った優勝を、自分から覆すことなんてありえません。どんな反論にも対抗し続けることが、真の勝者の証でもあるのです。

また、フランス人的に考えれば、篠原は試合中に、すぐ、抗議すべきだったと言えるかもしれません。

金メダルにのみにこだわるならば、篠原自身が、判定がでたあの場で断然とした抗議をすることが必須だったのです。それがなければ、審判が相手が負けたと認めているから不服がないと思いこみ、再検討もしないのは当然でしょう。しかも本人が負けたと言って認めているので、「じゃあ問題ないですね」で終わってもしょうがありません。

勝っていたはずなのに負けの判定をされても、潔く負けを認めることは、日本人にとっては「美徳」だとしても、フランス人にとっては、ただの「負けてあきらめてしまった人」でしかないのです。そこで審判が間違っているだけで、自分が本来の勝者であると言うなら、自分の名誉を回復するために当然抗議するはずですから。

16年後の二人のチャンピオン達

それから16年後。

2016年5月29日放送の岡村隆史のスポーツワイドショー【篠原信一が因縁の再会!独占】で、篠原とドュイエは16年後の再会を果たしました。

一緒に当時の試合映像を見た結果、ドュイエは、投げられた瞬間に、ハラハラしたことを認めてます。

しかし、

「足が大きく上がっているためお互いの技は決まっておらず審判は有効判決を出さずに試合を続けるべきだった

とコメントするのでした。

番組的には、その言葉を聞いて篠原が安堵し、道化役になって笑わすようなストーリーにまとめられていて、すごい日本的な展開です。

↓動画はこちら。

しかし、ここで注目なのは、ドュイエ

自分自身に非があるとか、二人共が優勝者だよとか、絶対言ってないこと!

自分は負けてはいないが、審判の判断が間違っていたと見事に言ってますね。

実際、国際柔道連盟(IJF)でも、審判の判断ミスであったことは認められたけれども、篠原が一本とったことは認められてないので、返答としてはドュイエが妥協できるギリギリの線でコメントしたと言えるでしょう。

自分の名誉とメンツが重要視されるフランスでは、その方が相手が納得するだろうと思ったからと言って、自分の価値を落とすようなことを言う必要がないし、言うべきじゃないので、例えバラエティー番組だとしても、負けを認めるたり、譲歩したコメントをしたり、弱みをみせるような発言とか絶対しません。特にドゥイエは政治家だしそういうミスは犯さないように慎重にコメントを考えてきていることは当然です。まあ、それに日本側も現在ドュイエの地位も考慮しているって言うのもあるでしょう。

2010年サッカーW杯南アフリカ大会での話ですが、フランス代表の主将ティエリ・アンリが決勝点につながるハンドを犯したことがあります。その時も、不当な勝利に対して謝罪や、再試合が求められたのですが、

しかしながら、フランス代表のレイモン・ドメネク監督は、「ビデオを見たが、あれは審判のミスだ。なのでなぜわれわれが謝罪を求められているのか分からない」とコメントしてます。

この場合も、見事に

確かにミスと言う事象はあったけど、自分達には非がない。なぜなら、審判のせいだから。

となっており、自分のミスを謝罪することはありません。

まあ、確かに審判のミスなんですけどね。

また、欧州陸上選手権の男子3000メートル障害決勝の出来事ですが、フランスのマイディーヌ・メキシベナバがゴールを前にランニングシャツを脱いだため、金メダルを剥奪されたことがありました。国際陸上競技連盟の競技規則第143条8項の「ナンバーカード(ゼッケン)はいかなる方法でも見えなくしてはならい」という規定に違反したためです。

フランスの報道によると、最初はイエローカードが与えられただけだったが、4位だったスペインが抗議したため、はく奪されたと言うのです。

そこで、表彰台に立ったもう一人のフランス人選手は、繰り上がりで銅メダルをゲットしたスペイン選手と、一緒に写真を撮ることも握手することも拒むというスポーツマンシップとは程遠い行動もしてました。

まあ、シャツを脱いだぐらいで金メダルはく奪は結構きついと同情する余地もありますが、元々はフランス人選手が規則違反をしたため起こった事であるのに対して、ここでもスペイン人のせいにして、非を他者のせいにしている姿が見受けられます。

これらは、フランス人にとっては、自分(や自分の仲間)の名誉を守るための行為であり、フランスではしなくてはいけないことでもあるため、今後も無くなることはないでしょう。

よって、私達は、そういう文化があることを理解してそれに適切に対応していくことが大切なのです。

結果は現在にある

しかしながら、ドュイエはドュイエでフランス人としては正しいことをしただけあり、篠原も日本人の文化的に「こうあるべきこと」をしただけのことです。

あの時、潔いことがいいことだなんて言って、日本人のファンの希望通りに「あの試合での負けを認めます」なんて言ったら、フランスではただの負け犬状態でボコボコにされて終わりだったでしょう。

しかし、そうはしなかったお陰で、ドュイエは、金メダリストとしてシラク大統領から勲章ももらい、その後、政治家として活躍。

反対に潔い精神を見せた篠原は、「この人は凄い、素晴らしい」と日本中に思わせ、その人間性が高く評価されました。またその評価は何年経っても語り継がれ、現在ではバラエティー番組に引っ張りだこの人気タレントとして大活躍中です。

ビデオ判定もない当時、抗議をしても、それでも判定が覆されないことも考えられるし、結局反論してもそのまま負けでもしていたら、「潔くない」「みっともない」と言われてこれまたボコボコにされていたかもしれません。

最終的には、受け取った名誉は違うけれども、結果的に、その国における「最も高い価値のある名誉」を、互いの国で二人ともが得ることができた試合だったと言えないでしょうか?

そして現在では、

二人ともが、自分の才能を発揮できる場所で活躍できている。

この事実も、とても大切なことだと思うのです。

あとがき

フランスのそういう教育のお陰で、うちの子供達に至っても、「非を認めない論法」は日に日に上達していっております。

例えば、娘が触ってスプレーの霧吹き調節部分が取れて機能しなくなったときの話、

私「これ、壊したでしょ!!」

娘「それは壊れていません。部品が取れたっていうんです!」

私「じゃあ、その部品はどこにあるのよ!」

娘「どこにあるかは今はわからないけど、どこかにあるわ。だから壊れてないのよ!」

まあ、間違ってはないけど、部品はとうとう見つからずじまいで、

「そういう時は、ごめんなさいでしょ!

と言いたいところですが、娘の方はかたくなに否定続けるのでした。

このように「自分の非を認めない」と言うことは、「他人のせいにして回避」することにもつながっていきますが、「謝らない」にもつながっていきます。

また、こういうこともありました。息子は今ではやってませんが、ちょっと前までやっていたチェスでの話です。

小学校、最後の年は、地方での大会は全部優勝し、最終の美を飾りましたが、その後中学に入りチェスは辞めました。しかしその一年後、ほぼ一年チェスをしていなかったのにも関わらず、たまたま出場した大会で中学生以下の部門でトップをとったことがあります。

息子がチェスをやっていない一年の間も、息子に勝ったり負けたりしていた同年代の他のお子さんは、ずっと練習し続けていたのにもかかわらずのこの結果で、私の方も驚きましたが、他の方も驚いていたと思います。

そしたら、小学校の大会で優勝争いしながら負け、中学生以下の大会でもトップを取れなかったチェスの先生のお子さん(息子より一つ年上)が息子に言いに来たそうです。

「僕は、負けたわけではないからな。君がたまたま運がよかっただけだってパパが言ってた。」

まさに、これこそフランス人の典型だと感心しました。潔さも、(私が知ってる)スポーツマンシップのかけらもない。

「絶対非も負けも認めない。弱いから負けたのではない。あれは運のせいなのです。」

そのお子さんには、チェスや辞めた息子の代わりに、その意気込みを忘れず今後もぜひ頑張っていって欲しいと願うばかりです。

それに対して日本人は、日本人的感覚で変にすぐ謝罪してしまったり、抗議しなかったすることがよくあって、国際競争で損していることがたくさんあるので、なんとかしてもらいたいと思うこともしばしば(笑)

やはりそういった日本と世界との違いを理解し、正しく戦っていく術を学ぶ必要があるのではないでしょうか?

そのためにも、フランス人を理解するきっかけに、少しでもこのブログがお役に立てれば幸いです♪

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コメント

  1. フランス消えろ より:

    フランス人は所詮けとう。
    柔道の精神、礼節が好きで始めたといいながら
    実はかっこいいから
    世界で柔道やっている人が世界一?
    数だけ威張っても中身がない
    ルールも勝手に変えて。
    柔道でなくJUDO
    レスリングJUDOなんか見たくない
    最近の世界でフランスが全く勝てないのを見れば明らか
    JUDOでは日本人に絶対勝てない