女性の生き方を考えさせらえる映画「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」

サルトルとボーヴォワール 哲学と愛

人は女に生まれるのではない、女になるのだ。On ne naît pas femme:on le devient

と、著書の『第2の性』に書き、フェミニズムの立場から女性の解放を求めて闘ったフランスのシモーヌ・ド・ボーヴォワール

実存主義の哲学者であり、左派日刊紙「リベラシオン」の創刊者であるジャン=ポール・サルトル

この二人の愛と苦悩を描いた伝記映画『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』

そこには、フランスの「不倫大国」「契約と言う結婚観」「独特な女性の自立感」の原点を垣間見ることができます。

また、それだけではなく、現代の日本を生きる女性が、何かの気づきを得れる映画ではないではないかと思うのです。

フランスで女性として生きることの苦悩の末の本『第2の性』

『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』(Les amants du Flore)は2006年のフランスのテレビ映画。20世紀を代表する哲学者ジャン=ポール・サルトルと、その生涯のパートナーで女性論の古典『第二の性』を著したシモーヌ・ド・ボーヴォワールの愛と苦悩を描いた伝記映画で、日本では劇場で公開されました。

サルトルとボーヴォワールの関係は、一部のフランス人にとって夢と願望を叶えたような存在で、神格化されてきましたが、実際は、ボーヴォワール壮絶な葛藤の中で続けられた関係だったと言うことがよくわかる映画。

日本人の通常ある価値観から見れば、かなりはちゃめちゃなことの連続です。

恋愛対象としてどうかと思うが、金も名誉もある男サルトル

まず、有名な哲学者サルトル。これが、また、とんでもない酷い男だった。

映画の中では、次々と悪びれることなく数々の女性と関係を持っていきます。

そんな、サルトルに疑問を持つボーヴォワール

「永遠の関係には貞操が必要よ」と言う思いに対して、サルトルは

「肉体を苦しめる愛なんて馬鹿げている」

と、言い放ちます。

サルトル

でも、歴史的に考えてみると、17世紀のフランスの貴族はそれが普通でした。結婚は家と財産管理のために契約のためであり、愛を語るのは他の女性というのが当たり前。結婚するまでは貞操を強いられる女性も、結婚してからは自由恋愛はあたりまえ。むしろ、結婚してはじめてサロン文化に入り、社交界で一人前の女性として振る舞うことができ恋愛する自由を手に入れるくらいだったのですから。フランスの歴史の中には、どの有名な人でも愛人が必ずいます。

フランスの結婚は契約であり、反対に愛があるから結婚するようになったのは19世紀の終わり頃になってようやくだったのです。

なので、ミッテラン大統領も、オランド大統領も愛人がたくさんいるように、サルトルも愛人を持つことに何も抵抗がなかったのだろうと思われます。

しかしもって、このサルトル。子供時代もすごい経歴。

パリのブルジョワ知識人階級の中で育ち、中学は、フランスの名門の一つであるパリの「アンリ4世」に行きます。でも、母親が離婚したため、ラ・ロシェルに転校するも、まったくなじめないサルトル。母親のお金盗んだりととんでもなくやらかしていたようです。美女に告白して振られて、自分が見た目もカッコよくないことを悟ったり、、、、あまりにも彼の生活がとんでもないことになっているので、また高校から「アンリ4世」に戻され、その後、名門のリセ・ルイ=ル=グランの準備学校に行き、高等師範学校(École Normale Supérieure)に入学とフランスでの超エリートコースを歩むのです。しかも、そこで、一年失敗するも、最終的にはにアグレガシオン(1級教員資格)を主席で卒業。

・・・・いる。フランスにはこういう子が今だに居る。息子の友達でも、親からも「まったくコミュニケーション能力が無い子で」と言われている子で、男の子にはあまり友達もできず、女の子からも邪見に扱われているのに、

なんだか、本人は自分にすごい自信を持ってる

最初は女の子にも嫌われていたのに、すごいひつこさで女の子を追いかけまわし、その結果、それこそ今彼女ができそうない勢いです。

成績はよく、親も裕福なので、将来はサルトル系になりそう。と思わず思ってしまった、、、。

それは置いといて、サルトル。

「金」もある。「頭脳」もある。そして「主席卒業」の名誉もある。

一方、アグレガシオン(1級教員資格)でサルトルに次いで2番だったボーヴォワール。そりゃ~顔は今一でもサルトルにクラッとくるのもわからないでもありません。

しかも、ボーヴォワールの家庭はお金も底をつき、今後の生活にも不安があった。

不幸な運命のボーヴォワール

ボーヴォワール。

父はかなりの資産を持っており、母は富裕な銀行家だったため、ブルジョア層であるから、まだ女性が教育を受けることが一般的ではなかったこの時代でも、立派な教育を受けていた。

が、しかし、

両親、投資に失敗し、ほぼ破産。

この当時はまだ、家の格が財産が同じ程度のブルジョア同士の子供達が結婚して、女性は家庭に入る時代。

親が破産と言うのは、労働層と同様に女性でも働かなくてはいけなくなると言うこと

ボーヴォワールの母親のように自力で働かなくてもいいと言う人生は送れないと言うことでした。父親もそれを知っているから、勉強に精を出すボーヴォワールに文句を言わない。

「彼女は自分で稼いで生きていかなくてはいけないのだから」

大学に一緒にいた女性達もブルジョアと結婚していく中、彼女は黙々と勉強に励むことに。

しかし、この時期のブルジョアは、ブルジョアと言っても、ボーヴォワール家のように昔のように羽振りがいいわけでもないので、女中を雇うこともできず、家に居る女性は女中とサロンをつかさどる「女主人」と言う地位から「専業主婦」と言う名目に変わり、自分で家事をする存在になっていました。

そういった流れから、「専業主婦」=「女中・召使い」と言う思想があったとも考えられます。また、フランス人の女性には、この時期女性が財産を持つ権利はなく夫がすべて管理しており、当時の日本のように、家の財産の管理を女性がしていたと言う状況とはまったく違っており、日本と比べても、フランスは女性にはほとんど権利がなかったと言う状況がありました。

ブルジョアとの結婚ができない=「専業主婦」にはなれない。

そんな崖っぷちの中、ボーヴォワールはその状態に対してこう言い放ちます。

いや、なれないんじゃなくて、ならないんだ!

フランス独特の反抗精神もあったかもしれません。

ボーヴォワールは、ブルジョアと結婚が決まった友達にも

「結婚するっていうのは、女中になることよ」

と言います。が、しかしながらもちろん友達には

「違うは。妻と女中はまったく違うものよ」

と反論されるのですが。。。。

アグレガシオン取得後、サルトルと付き合う時に、肉体的にも自由で、でも愛がある関係を求められたときにも、そういった思いも錯誤していたのでしょう、「一生結婚しないわ。誰の召使にもならない」と言い、契約結婚に合意するのです。

ボーヴォワール

でも、その後は苦悩の連続。

まず、最初は2年と言う期限付きの契約結婚という話しで始まったこの関係。叔父からの遺産相続もあってお金持ちのサルトルはお金も出すと言うけれども、ボーヴォワールはお金も頼らないと断ります。(まあ普通に考えても、契約期間中は普通の結婚のようにお金に心配しなくても、2年後になんの保証もなくなると言われれば、働ける場所があるなら働き続けることを選択をするでしょう。)

そして教員として働きながら、夫が亡くなり財産もないため生活が苦しい母を助け、サルトルと同様に自由恋愛を楽しむと教え子と関係を持ったら、教員を辞めさせられる危機。

そこら中に愛人を作りまくるサルトルに貞操を求めたら、拒否され、でもって自分はなかなか成功できない。もてはやされるのは、サルトルとの関係だけ。

そこで、ようやくアメリカ人作家ネルソン・オルグレンと本当の愛を感じれる恋愛をし、結婚してくれとまで言われるが、、、、

サルトルの横に座ることは、回りから絶賛され、自分が輝けることにもなる

40歳すぎて、結婚して主婦という人生を送ることも可能だけど、サルトルと居ればパートナーとして自分が世にでるチャンスも多くなる。主婦でいればいつか終わる結婚生活のあと、(母のように)お金に苦労する生活を過ごすことになるが、自分自身が仕事ができるならそういった人生を歩まなくてもいい。

そう考えたかは、わかりませんが、とにかく彼女はサルトルを選びます。数多い、サルトルの愛人とで形成されるサルトルファミリーの一人として結局最初の契約結婚からサルトルが亡くなるまでの50年間も、サルトルとパートナーとして一緒に過ごすのでした。

そんな苦悩の中、女性とは何か?、女性の人生とは何か?を追及

女性は、確かに出産と言うハンデはあるが、結局は女性として育てられるから女性になる。でも、女性は男性同様の知性もあるし、男に依存しなくても生きることができる

そんな考え方は、同じく苦悩の中で生活していた女性達を勇気づけることになり、最終的にフランスの女性の在り方の基礎となるような本『第二の性』を1949年に書き上げたのです。

決定版 第二の性
シモーヌ ド・ボーヴォワール

人間とは男であり、男は女をそれ自体としてではなく、自分との関係において定義する。女は自律した存在とは見なされない。女は従属する性なのか、男あっての性なのか?戦後女性論の古典を現代の感覚で新訳した決定版。

決定版 第二の性〈2〉体験(上)
シモーヌ ド・ボーヴォワール

人は女に生まれるのではない。女になるのだ―この有名な書き出しは、文明全体が個々の女性を、今あるように作り上げたのだという強力なメッセージを伝えている。すべての女性は生まれた時から(男より劣った)第二の性になるよう仕向けられ、自覚しないままそれを受け入れる。それがどのような葛藤を生み、女性を苦しめるのかが、具体的な体験を通して女性の視点から語られる。

決定版 第二の性〈2〉体験(下)
シモーヌ ド・ボーヴォワール

身体構造の違い、思春期に押しつけられる受動的な価値観、男への依存を強要する結婚制度など、女の周囲は、生まれた時から『第二の性』への罠に満ちている。豊かな個人生活こそ、女性がよき親・よき配偶者となる必須条件である。女は「女らしさ」の神話から解放されなくてはいけない―刊行されるや世界中で爆発的な支持を得、その後の女性解放運動の理論的拠り所となった本。

女性が働くための考え方が学べるボーヴォワール

映画を通してボーヴォワールの人生を見ていくと、現在の日本にも通じるものがあるかと思えてきます。

日本も経済が低迷し、一億総中流社会(ブルジュア(裕福)な国)が終わりにさしかかっています。当時のフランスのように、ブルジョアとして専業主婦でいれた女性達も、労働層へと変換している時期。

日本でも最高時には70%はいた専業主婦も、1991年のバブルがはじける時期には50.3%ほどになり、どんどん減り続け現在の2014年には37.9%まで減っています。

ボーヴォワール同様、母親が専業主婦でいれた世代も、共働きで働かなくてはいけない時代。書かれた年代はずいぶん昔ではありますが、ボーヴォワールの『第二の性』の中には、女性の生き方として、今でも学べることがたくさんあるのかもしれないことに気づかされる映画ではないでしょうか?

サルトルとボーヴォワール 哲学と愛の動画はこちら

ボーヴォワール 哲学と愛
アナ・ムグラリス

哲学者サルトルとボーヴォワール。時代の寵児となった二人の半生を描く知られざる愛憎の物語。1929年、パリ。二人は出会い、時代が動き始める。「実存主義」を広め、世界中の若者に多大な影響を与えた哲学者ジャン=ポール・サルトルと、女性の幸福のために社会通念や偏見と闘い、自由恋愛から同性愛まで現代に繋がる新しい愛の形を実践した作家であり哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワール。運命的な出会いから、新しい愛の形とそれ故の深い葛藤、執筆の苦しみ、そして時代の寵児となった二人の知られざる愛憎の軌跡を描いたドラマ。


(文中画像は動画より)

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コメント

  1. Mayumi Imi より:

    ボーヴォワールを敬愛している私にとっては、大変興味深い記事でした。この映画を観ておらず、書籍を読むなかで、互いに理解しあって結婚しなくとも生涯のパートナーであり続けることに驚嘆したものです。必然の恋のみならず偶然の恋も、互いに認め合うと口でいうのは簡単ですが、女性からすれば、とても苦しいものだと私は感じてました。どんな感情を持ってるのか、鉄の女性とは思っていましたが、反面、生身の女性であるのだとこの記事で感じました。やはり観るべきだなあと早速、DVDを購入します。